幸せを見つけることが得意な人と、不幸を見つけることが得意な人

気持ち

この世の中には、幸せを見つけることが得意な人と不幸を見つけることが得意な人がいます。

 

 

この両者の考え方の違いって何なんでしょう。

 

人間、そんなに変わった現実なんて起きていません。

だいたい似たような現実を送っています。

不幸もあれば幸せも経験しているはずです。

 

なのになぜ、ずっと幸せだという人と不幸だという人がいるのでしょう。

 

人は自分の思っていることを正解にしたい

人は、皆ゴールを持っています。

 

自分は幸せなんだ

といったゴールを持っている人は、どんなに辛いことがあろうが幸せだと言います。

 

不幸を表現してしまったら、

『自分は何てことをしてしまったんだ。』

と自己嫌悪に陥るのかもしれません。

 

不幸だというゴールにたどり着くことに嫌悪感を抱いてしまいます。

 

それは、その人自身が持っているゴールです。

必ず、そのゴールに行くように話の流れを持っていき、

『やっぱり自分は幸せなんだ』と思えるゴールに行こうとします。

 

もし、自分が本当は不幸なのに、不幸を表現できないとしたら、モヤモヤはずっと溜まっていきます。

一度、自分は辛いんだということを認めてあげることがとても大切だと思うのです。

 

しっかり認めることが出来なければ、守り方を考えることが出来ません。

傷付いていることを理解しないと、防御策は考えれないでしょう?

血まみれなのに、気付かずニコニコ笑っているのと一緒です。

 

自分は被害者だというゴール

 

自分が被害者だというゴールを持つと、問題がたくさん起きます。

 

自分が被害者だと思える事柄をピックアップして、被害者になるためのストーリーを作り上げます。

 

でも、この自分が被害者であることをアピールするためには、悪者が必要です。

身近にいる人を悪者にして、いかに自分が可哀想な立場かという演説をします。

 

そして、自分が被害者だというゴールにたどり着くことが出来ると納得します。

『やっぱり自分は被害者なんだ!』

そう思えることで生きていく感じです。

 

何度も何度も、スタートとゴールを作り、ひたすら『自分が被害者』というゴールに向かってシュートしています。

一つゲームを終わらせてゴールに辿り着くたびに、『やっぱり被害者なんだ』という思いは強くなります。

自分のキャラクターから抜け出せない

大小あれど、人はこのような自分のゴールに向かって必死に進んでいます。

この思い込みのようなものが、強ければ強いほど、周りを思い込む力も強くなります。

 

もしも自分の人生が不幸だと思って苦しんでいるのであれば、自分はどんなゴールを持っているのか知ることがとても大事です。

幸不幸と実際の現実は、実は全く違うところにあるのです。

視点を変える

人は皆、自分の物語で生きています。

ですので、たとえ同じものを見ても人により現実は全く違うものになります。

 

自分の気になっている視点は、どの角度からですか?

自分が今、どの視点から見てそのゴールを作っていますか?

 

ほんの少し方向を変えるだけで、見える世界は全く変わってしまいます。

 

自分がその物語に飲み込まれてしまう前に、一度立ち止まって視点を変え、現実を見てみてください。

 

全く違うものが、そこにはあります。

 

最後まで見ていただき、ありがとうございました。

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