つい先日、次男が大学へ行くために引っ越しをしました。
次男の机には、山になった消しゴムのカスと大量の教科書やプリント、ゴミ箱から溢れんばかりのゴミが残されていました・・・・
これを処分していかなければいけません。。。
母は一人、思い出とともに整理整頓しています。(笑)
今日は、そんな思い出話を少しだけしたいと思います。
幼少期
次男は、ママ大好きっこでした。
ベランダで洗濯物を干しているときも、お風呂に入っているときも、
プニプニのほっぺと小さな手のひらをガラスにべったり押し付けてきて、泣いていました。(笑)
とっても可愛いんですが、とっても体力の必要な育児でした。
手を繋いだらくるくる回るし
急にダッシュするし
私に似て気も強いし(笑)
怪我の多い落ち着きのない、やんちゃなタイプでした。
小学校に入ると、友達と喧嘩もよくするようになりましたよね。
口も立つので、先生方からもよく思われないときがありました。
トラブルが目立つようになったんです。
そんな次男に言われた言葉で忘れられない言葉があります。
馬鹿にされ、お友達に手を出しました。
手を出したのは次男なので、もちろん先生方に怒られます。
「何で、先に悪口を言ったのは向こうなのに、俺だけ怒られるの?」
「道徳の時間に、悪口は心の暴力ですって言ってた!俺は先に暴力を振るわれた!」
理由もなく、ただ相手を傷つけるために手を出したのではありません。
自分が傷付いたから怒ったという事を私に言いたかったのだと思います。
だからと言って、人に手を出すことはいけませんよね。
それは、正しい自分の守り方ではありません。
当時の私は、うまくそれに答えることはできませんでした。
とにかく、どんな背景があろうと、相手に手を出すことは駄目だと教えるに徹しました。
喧嘩も、小学校5年生になるころには落ち着き、友達付き合いもとっても上手にするようになりました。
何かが、彼の中で変わったんだと思います。
きっと、人間関係の中で絶望した部分があったのではないかな。
周囲の環境に揉まれながら、自分なりに賢い生き方を学んでいったようです。
勉強について
話は変わりますが、次男は勉強が昔からよくできます。
テストもほぼ100点満点でした。
「あんた、いつ覚えてるの?」
と聞くと、
「え?授業中。」
と言っていました。
そうなんです。家では全く勉強しないんです。
そして、宿題も半分はやっていません。
算数のドリルの答えを全部”1”にしていた時は、先生から電話がかかってきました。
でも、テストの点だけは良いという、なんとも可愛くない生徒だったと思います。
小学校低学年時の懇談会で先生に
「お母さん、この子はテストに対する集中力は本当にすごいですよ。最後の最後まで、考えてます」
と言われたことがあります。
きっと、授業中の集中力も、とてつもなくあったのだと思います。
無関心を貫き通した私
私自身は、幼少期に嫌々勉強をさせられた過去があります。
スパルタ教育だったので、ビシバシ母親に勉強を強要されて育ちました。
とっても、とっても地獄でした。
何のために勉強をするのか
これがわからないまま、無理やりさせられるというのは辛いのです。
だから、自分は子供に対して勉強をしなさいということは一切言うまいと決めていたんです。
また、長男は勉強嫌いだったこともあり、
成績が良いからと次男を褒めることはよくないとも思っていました。
だから何も言えなかったんです。
これも、自分が劣等感の塊だったからです。
私は、自分の育児を振り返っても、あまり子供の夢中になっている部分に関与していません。
子供が元気に育てばそれでいいと思っていました。
期待するものは特にありませんでした。
いじめられたなどのトラブルは対応するけど、それ以外はほっとらかしです(笑)
あまり子供同士の事に口を挟むことも好きではなかったですしね。
子供は親の背中を見て育つという言葉が好きで、
自分が頑張っている姿を見せる方がいいかなって思っていたんです。
中学から大学入試が終わるまで
まぁ。思春期と言いましょうか。
この期間は次男とは全く上手くいっていませんね。
ソフトテニスをしていましたが、最低限の母としての役割を果たしたという感じです。
送り迎えとか、お弁当とかです。
反抗期ですか。
私を馬鹿にしたような雰囲気はありましたし、まともに返事も帰ってきませんでした。
彼なりの理想の母親像とは全く異なっていて、とっても不満があったのだと思います。
そういう感じも伝わってきました。
実際、本当に良い母親からはかけ離れていましたから。
自覚もあります。
自分の仕事や家事にいっぱいいっぱいで、子供のスケジュールすら把握することが出来ませんでした。
次男の残したメッセージ
そんな反抗期も、大学受験が終わったころにやっと終わったようです。
受験期間中も全く勉強もしている様子はありませんでしたし、
本人に聞いても『全く受験ストレスは感じていない』と言っていましたが。
やはり、少しはイライラしていたのかと思っています。
受験があるというプレッシャーはさすがの息子でも感じていたと思うんです。
だから受験後に、本当に久しぶりに息子の笑顔を見たような気がしました。
最後に少し親子でいい時間を過ごすことが出来て本当に良かったと思っています。
そんな息子も県外に行きました。
息子の部屋を掃除していると、
「難関大学合格者の集い」
というプリントに目がいきました。
難関大学合格者が、在校生に向けて3年間を振り返って発表するという趣旨のものでした。
息子もその中の一人でした。
その息子の言葉を少し抜粋してみます。
『自分特化の勉強に目を向けたくなる気持ちは分かるが、一つ一つの授業に集中しよう。マジで授業命!』
なるほどです。
やっぱり、小学生のころからこのスタンスを貫き通したんですね。
授業を集中して聞けば、大学受験って合格するものなんですね・・・・
私には未知すぎます・・・
また、最後にこのような事を書いていました。
自分を見失わないように!
誰もあなたに期待していないし、
あなたは誰の期待にも応える必要がありません。
自信とやる気で受験を乗り越えてください。
この言葉を見たときに、あぁ~うちの息子ってやり抜いたんだと思いました。
自分の明確な目標をきちんと持つことが出来て、
周りの期待や理想に惑わされることなく、受験に臨んだんだなと思いました。
どんなに自分の部屋が汚くても、自分の目的を見失わずにそこに向かって進んでいけたんですね。
目的の主となる思いが強かったのか、
はたまた、そこに行くまでの考え方・道筋がしっかりしていたのかはわかりません。
誰も自分に期待していないという言葉が使える彼の背景には何があったのでしょうか。
そう、誰も自分に期待なんてしていません。
人の期待に応えようなんてしていたら、その人の人生の脇役になってしまいますからね。
彼は、自分の人生の主役として生きることをしてきたのかもしれません。
この言葉を持って、自分の子育てはやっと一段落出来たんだと思えました。
また、強く育ったんだと思えましたね。
ずっと好成績を維持できた理由は、自分の目的を見続けることが出来たから。
最高の親孝行です。素敵な言葉を貰えました。
そんな感じです。
最後まで見ていただきありがとうございました。