私は、幸せを表現することに抵抗があります。
自分は幸せになってはいけない人間だという思いがずっとどこかにあったからです。
小さなころから、自分は不幸でなければいけないと思っていました。
少し現実で良いことが起ると「どうしよう、どうしよう。」と焦っていました。
自分に不幸なことが起きると、「これが正解だ」と安心していました。
自分は不幸でないと、見放されると思っていたのです。
これは、子供のころにずっと感じていたことです。
不幸が安心
不幸だったら安心するなんて、おかしいですよね。
自分でも思っていました。
現実でどんなに良いことが起きても、不幸な部分を必死で探して訴えてきました。
一番根底にある思いは恐怖だと思います。
幸せになることによって、捨てられる恐怖です。
目的は幸せ
こんな私でも、何か目的を持って物事をやり遂げるときにある目的は、
大枠で言うと「自分が幸せだと思うこと」だったはずです。
でも、私のゴールはいつも「やっぱり不幸だ」と思う事でした。
だから、矛盾が生じていたのです。
私は、このままじゃ、いつまでも幸せになることはできません。
この矛盾した状態で私は『幸せになりたい』と思っていたのです。
私がいくら希望の光に向かってダッシュしたところで、
そのゴールに着いたときに希望の光は消えてしまいます。
ゴールは必ず私の色に染まってしまうのだということです。
現実を客観的に見た
私は、どんなに考えてもこの問題を解決することが出来ませんでした。
世の中には、とても幸せそうに見える人がいます。
幸せの言葉を口にする人がいます。
なのになぜ、自分は幸せだと言えないのか。
どうして、私は幸せそうに見えないのか分かりませんでした。
自分とその笑顔の人との違いは何なのかずっと考えました。
私は、幸せだということがとても辛かったのです。
あるとき、現実を見てみました。
一つ一つの今自分の周りの状態を見てみました。
そして、実は自分の願いはほとんど叶っていたということが判明したんです。
後は、自分が幸せになるだけなんだと妙に納得したんですね。
幸せになるために
例えば、結婚は幸せになるためにしたはずです。
なのに私が不幸そうに結婚生活を送っていたら、夫はがっかりですよね。
何のために結婚したの?不幸になるためではないでしょう?
不幸探しをして、「やっぱり不幸だ」というゴールに持っていくのはもうやめませんか。
幸せな部分は、ちゃんと幸せだと言ってもいいんだよと自分に許可を出してみました。
私は、いつも男女問わずニコニコ笑顔の人に惹かれていました。
私にはないものを持っていたからです。
悲しいのに笑う必要はありません。
でも、幸せな時は幸せを表現したっていいんですよね。
私は、幸せになりたいから、この『不幸になれ~』という呪縛を解くことにしました。
さいごに
この不幸のゴールを終わらせるために、私はたくさんの言葉を自分に言いました。
どの言葉が、自分を変えるきっかけになるのか模索しました。
自分を変えるのは自分しかいません。
考えて考えたら、きっとなりたい自分に変わることが出来ます。
考えて考えて考え抜いて、何かを終わらせてみてください。
最後まで見ていただき、ありがとございました。