「皆言ってる」の残酷さ

気持ち

人は、自分の言っていることに自信がないと、人に同意を求めようとします。

 

「あの人、ひどいと思わない?」

「分かる分かる!ひどいよね!」

「だよね!やっぱりそう思うよね!」

 

そうして、人は自分の思っていることが正しいことを証明するために仲間を集めます。

 

これは、自分の大切なものを守れません。

 

人からの同意を求めたところで、その人は当事者ではありません。

貴方の話した世界観上での事実しか知ることはできませんし、

そもそも自分の発言に無責任でいいのです。

 

そんな人の同意を真に受けて「皆が言ってる」というのは間違えていませんか?

 

問題に他人を巻き込むと揉める

 

例えば夫婦喧嘩をしたとします。

 

問題解決の糸口を探していて、何かヒントが欲しいのであれば相談することも手かもしれません。

でも、相手が悪いという話に花を咲かせることは望ましくありません。

自分の妄想や気持ちを増幅させるために人と悪口を言うことは裏切りだと思うのです。

 

そして、また喧嘩になったときに言ってしまいます。

 

「皆も言ってるよ」

 

この言葉ほど、私は傷つくことはありません。

この言葉を使ったら、自分対複数人の図が出来上がってしまうからです。

「皆で私の悪口を言ったんだ」

というのが一瞬で分かってしまうからです。

 

目的を忘れてる

何でこんなことになるのでしょうか。

 

自分の気持ちに焦点が当たってしまっていて、目的を忘れてるのです。

気持ちを擁護するような行動は、目的からどんどん離れていってしまいます。

 

夫婦喧嘩したあとの目的は、何ですか?

極論を言えば、仲直りするか離婚するかです。

 

自分の気持ちを分かってほしいのであれば、自分の気持ちを何故相手に言わないのですか?

相手に言わない人ほど、陰で言います。

 

自分は良い人でいたいのかもしれません。

その場が穏便に過ごせることが出来れば、問題はうやむやでいいと思っているのかもしれません。

 

 

でも、そんなことしたって解決しませんよね?

 

出来上がったネガティブな気持ちをそのまま伝えることは、

ネガティブかもしれませんが分かりやすいし綺麗です。

 

しかし、自分の中で増悪を膨らませ、他人とともにさらにその気持ちを調合することは

とってもねっとりした汚い気持ちが出来上がります。

 

 

解決するためには、「あなたは悪人だ。皆言ってる」ということが正解ですか?

 

これって、もう裏切りじゃないですかね?

家族は敵ではなく、本来味方のはずなのに。

 

人の同意があれば正しいわけではない

 

人と話したって、答えは自分の中にしかありません。

 

もしかすると人が発した言葉をヒントに、自分が答えを導き出せることはあるかもしれません。

 

でも、人とそのものの気持ちを大きくさせるような話の仕方は、自分を苦しめているだけです。

 

味方を集めようとする人は、自分に自信がない人だと思います。

 

そんな人は、いつも困っていて人の同意を求めているのかもしれません。

 

しかし、自分の守りたいもの、大切にしたいものは、他人に触られたら形が変わります。

他人に手を加えられたら壊れるんです。

 

自分の中に弱さがあると、大切な人を裏切ってしまうかもしれないということです。

 

最後まで見ていただき、ありがとうございました。

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